港南3丁目、モノレールと並行する海岸通り沿いに第一芝浦丸が佇んでいます。
大正12年に起きた関東⼤震災で甚大な被害を受けた東京は、陸上輸送が制限されたために海上輸送に依らざるを得ませんでした。その教訓から、⼤型船が航⾏できる港の整備が進められ、日の出、芝浦、竹芝と次々に港が完成。戦後の産業発展と共に品川埠頭や大井ふ頭等の大型コンテナ船が停泊できる港も整備されました。
そんな都心の港湾開発に重要な役割を果たしたのが、こちらの芝浦丸。大正時代に作られた蒸気機関の引船(タグボート)で、リベット工法の船体がやけに重厚です。
第一芝浦丸 船歷
この芝浦丸は、関東大震災の復興を契機に、東京港の整備が本格的に始まった、大正十五年に誕生しました。
この船は当時の船舶技術の粋をあつめた高性能の蒸気で、直営しゅんせつ船団の引船として東京港建設のために活躍し、昭和四十九年三月航路泊地の整備がほぼ完了と同時に引退しました。
ここ東京港建設事務所発祥の地に、総合庁舎の完成を記念して同船をかざり、その功績を讃えることにします。
昭和四十九年三月吉日
東京港建設事務所東京都東京港管理事務所・東京都東京港建設事務所が入っている建物の3階に職域食堂があります。
東京港建設事務所前、芝浦丸案内板より
なお、最も若手の芝浦丸は、芝浦海運株式会社の第33芝浦丸でした。こちらはセメント運搬船のようです。載貨重量トン数は320トン。先代に引き続きやっぱり力持ちです。
芝浦はともかく、港区海岸地域は食べるところが少ない!と長く思っていましたが、実は実は、社食が充実しているのでした。職域食堂というビル勤務者向けの共同社員食堂で、その多くが部外者でも利用できる施設です。12時のランチタイム時には大混雑しますが、少し時間をずらせば余裕のあるスペースでお得なランチが楽しめます。
ビルのエントランス前に食堂 SHIP’S の看板が出ていますが、道路からは遠くてまるで見えません。
エントランスホールには、東京港湾施設の模型がいくつか飾られています。
晴海埠頭の模型です。夏に取り壊しが始まったので、この姿はもう見られません。
芝浦アイランドにあるカニ護岸の模型もありました。
エレベータホール入口に本日のメニューがありました。
三階でエレベータから降りて左に進むと食堂があります。
食堂入口前に消毒用アルコール。
入り口から左に進むと受け取りカウンターです。食券はなく、後払い。お盆を取ってカウンターに並びましょう。定食と丼は小鉢が付きます。
食事が渡された後に、スプーンやお箸、ドレッシング、お茶・水などを適宜揃えます。
昼時に何度か行きましたが、12時過ぎでもここが混雑したことは一度もありません。ランチで出遅れた時でもゆっくり食べられます。
サバの味噌煮です。半身のサバに温野菜、サラダ、味噌汁、小鉢がついています。なお、お漬物は取り放題。これで600円は破格よねー。
近所に住む友人にレポしながら、おいしく頂きました。
こちらは別の日のメニューです。
鶏と白菜のうま煮丼です。食後のコーヒーは好きなタイミングで取りに行きます。
食堂からの眺めはこんな感じ。
青い景色が広がります。
のんびりとよい食事が取れました。
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