そこにあると知っていても、どんなに長く近所に住んでいても、行こうと思わなければ行けない場所がある。そんな気になるあそこに入ってみたいシリーズ、今回もぴーなごが突撃してきました。
芝浦といえば
芝浦の地名を聞く時、土地勘がある年配者はジュリアナ東京を連想するけど、東京近郊でより広く知られているのは、精肉店や焼肉屋の宣伝で見かける「芝浦直送」の文字だったりします。つまり、芝浦と場(芝浦屠場)です。
東京都中央卸売市場食肉市場
芝浦と場の正式名称は東京都中央卸売市場食肉市場です。東京都中央卸売市場で唯一の食肉部です。
市場名は、水産と青果の卸がある豊洲市場、青果と花きの卸がある大田市場等のように複数の卸があることから地名入りであることが多い中、ここ食肉市場は水産や青果といった他の卸は一切なく食肉だけを扱っているにも関わらず、正式名称の「食肉市場」ではなく「芝浦」と地名で呼ばれるのは、それがブランドになっているからに他なりません。築地市場が TSUKIJI として訪日外国人旅行者にも通じる日本の食のブランドであるのと同じように、「芝浦」は厳選された高品質な食肉を表すブランドなのです。
芝浦と場があるところ
芝浦と場の所在地は港区港南二丁目で、広義でいうところの芝浦にあたります。東京の通勤ラッシュの映像に使われることで有名な、品川駅港南口からわずか3分のところにあります。
品川駅という主要ターミナル駅のすぐ側に市場があることについて不思議に思う人がいるかも知れませんが、それは先に市場があって後から街が発展したから。昭和8年、品川駅南側に位置する高輪海岸埋立地の工事が終わり芝区高浜町が成立。芝浦と場は埋め立て工事が終わったばかりのまっさらな土地に、昭和11年にできました。
品川駅方面から歩くと、食肉市場正門に入らず道路沿いに進んだ先にセンタービルがあります。あまりにオフィスビル然としているので、ここが食肉市場だと気がつく人は少なそう。
自動ドアの前に「市場内撮影禁止」の張り紙があります。
普段からよく豊洲市場や大田市場へ買い物や食事に行く私としては、この閉鎖性を仰々しいと思っていました。以前はね。
東京食肉市場の5つの約束
エントランスに貼られていた「東京食肉市場の5つの約束」です。こちらで働く人たちの心構えの表明です。
―東京食肉市場行動憲章―
東京食肉市場の5つの約束東京食肉市場のあるべき姿は、 安全安心で高品質な信頼される 食肉を公正で透明性の高い活動により提供することです。
私たちは、これを実現するため以下のとおり5つの約束を定め、関係者一人ひとりがこれを守り実行していきます。1 私たちは、日本を代表する基幹市場の一員であることの 誇りを持ち、全ての人から信頼されるよう行動します。
2 私たちは、食肉流通の中核を担うものとしての社会的責任 を自覚し、法令遵守の徹底と、公正・公平で透明性の高い活動を行います。
3 私たちは、生体等を最善の状態で受入れ、最高の食肉及び副産物として提供するため、ものづくりから販売に至るまでの工程の改善に努めます。
4 私たちは常に安全・衛生管理を最優先に考え、だれもが ”安心・信頼できる”と実感できる食肉及び副産物を提供します。
5 私たちは、常に誠実な心を持って業務に精勤し、互いに人格・価値観を尊重し合い、活気にあふれた健全な職場 づくりに努めます。東京食肉市場・芝浦ブランド推進協議会
東京食肉市場の5つの約束
お肉の情報館
食肉市場センタービルの6階にお肉の情報館があります。
こちらでは食肉や皮に注目して、芝浦と場の歴史、畜産動物の生産、と畜解体作業、市場取引等を学べます。
もちろん情報館も撮影禁止。一回見ただけじゃとても覚えられないと不安になりましたが、メモ代わりに撮影しなくてもパンフレットが充実しているので大丈夫です。
さらに、こちらでは人権問題についての啓発も行われています。戦場など残虐な場所の比喩として使われる「屠殺場」が差別表現になるとは、ここの展示を見るまで考えたことがありませんでした。知らないではすまされないのが差別です。身の回りにあふれている表現なだけにぎくりとさせられ、芝浦に住みながら自分が勉強不足であることを自覚しました。
そして、なんでこんなにも芝浦食肉市場が閉鎖的なのかを理解したのでした。
それにしても、お肉の情報館ではてっきり狩猟を含めた日本人の肉食の歴史が学べると思ってたので完全に肩透かしをくらいました。食肉市場だから食肉産業の話が中心になるのは当然だけど、あまりに展示が限定されすぎ!と思いました。
一休食堂でもつ煮
展示が物足りなかったので、代わりに市場内にある隣の建物に移動して胃袋を満たすことに。煮込み定食が人気の一休食堂です。芝浦食肉市場内の食堂はここだけです。
ピーナゴ、ここでは大抵もつ煮、やっこ、味噌汁と小ライスを全部単品で注文しています。
ちなみに、煮込み定食はこれとは全く別物。ご飯に煮込み汁と小鉢の牛皿と生卵がついてきます。
『世界屠畜紀行』を読む
お肉の情報館が未消化に終わったので、もう少し勉強が必要だと思って図書館で本を借りてきました。
内澤旬子著『世界屠畜紀行』は、日本と各国のと畜について紹介し、と畜に係わる職業差別が日本に限らずどこにでもあるらしいことと、死にフォーカスしすぎて本質を見失う人が多い問題を詳らかにした、大変読みごたえのある本でした。
遅まきながら、ようやくこの本で屠畜の仕組みやそこに働く人達の職業意識に感心を向けることができました。食肉市場の肉の情報館の展示内容が「屠畜とは畜産過程の一部」という単純な事実を伝えていることにようやく合点がいったのでした。
畜産動物と社会との様々な関係の極一部、強烈に印象に残る部分だけを記号化し俎上に挙げることが何の意味もないばかりか、余計な摩擦しか生まないことをよく知っている側だからこそ、お肉の情報館は、シンプルに畜産と食肉の流れを展示していたわけです。
『世界屠畜紀行』のあとがきに、筆者が言われた言葉として「あなたと同じ感覚をもった日本人は、そうね、20人に1人くらいじゃないかしら」とありました。だとしたら、私もその20人のうちの1人なのかもしれません。現役猟師の知人がいたり、子供の頃に親の趣味に付き合って自分で釣った魚を捌いたりしていた経験がそうさせているのだとしたら、私は自分の体を作る命の循環を自然と受け入れられる育ち方をしたわけで、大変恵まれていたのでしょう。
便利は自分が甘やかされていることを忘れさせます。日常的に魚を丸ままで買って自分で捌いて食べていますか?魚でさえ切り身でしか扱わない日常じゃ、生き物が肉になる過程をまるで自分とは関係のない他所の世界のことのように感じるようになるのかもしれません。
と畜場を見学したらショックを受けて肉を食べられなくなる?
人って自分が思うよりはるかに丈夫に図太くできています。可愛いや可哀想と美味しいは一人の中で矛盾しません。だって、一時の感傷と食欲を比べたら後者がはるかに強い。それが人間という生き物です。だいたい、屠畜を怖いと言いながら、マグロの解体ショーをすごいすごいと囃し立てるの、不思議だと思いませんか?そこに何の差があるんでしょう?
もやもやするなら複雑なまま考え続けることをお勧めします。無理に矛盾を解きほぐそうとしても、この社会は誰かが肉を作り、その肉を食べる誰かによって成立しています。自分が苦手なことやできないことを誰かが代わりにやっている、知ろうとしなければ無関心でいられる、我々をどこまでも甘やかしてくれる社会がありとあらゆる人の手で支えられていることを、私は忘れないようにしたいと思います。
芝浦に屠場があること
一休食堂には年に数回行くし年に一度の食肉まつりは楽しいけれど、芝浦に住んでいながらも食肉市場を意識することはそんなにありませんでした。たまに海岸通りで家畜運搬のトラックを目で追うくらい。食肉市場のことを考えないようにしているわけじゃなく、単に興味がなかったというのが正直なところです。
でも、肉の情報館の展示を見たことで食肉産業について興味を持ち、さらに『世界屠畜紀行』を読んだことで、肉の情報館の展示の意図を知ることができました。
私にとって釣りが命の循環をごく自然に学ぶ機会になったように、芝浦に育つ子どもたちは地元に食肉市場があることで食肉について学び、差別や偏見を考える機会に恵まれるわけで、それは芝浦のアドバンテージのひとつなんじゃないかなと思った次第です。
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